巨人軍は常に紳士たれ

「巨人軍は常に紳士たれ」
読売巨人軍の初代オーナー正力松太郎が掲げた有名な言葉です。
私は、巨人ファンですが、単に巨人のチームスタイルを表しただけの言葉だと思っていました。
しかし、この言葉の真意は、選手の将来や野球界の未来に投げかけられた言葉なのだと、私は野村克也さんの記事を読んで理解しました。
プロ野球選手とは、特別な人間にしか就けない職業であるため、誰もが憧れる存在です。
しかし、野村さんの考えでは、いくら特別だからといって、社会人としての常識を怠ってはいけないということなのだろうと思いました。彼らはプロ野球選手である前に1人の社会人であるということです。
 
正力松太郎の「巨人軍は常に紳士たれ」この言葉も野村さんは選手の人間教育のための言葉なのだと理解されているようです。野球の技術を磨き一流の選手になったとしても、一般常識やマナーを欠いたまま年齢を重ねてしまうと、勘違いした野球バカになってしまうと仰っています。そんな選手が将来、指導者になったとき、また同じように野球バカを育てていくことになることを危惧されています。
 
プロ野球は人気商売である分、余計にその傾向があるのかもしれません。
私の偏見ですが、選手の多くは子供の時からスポーツが得意でクラスの中心でチヤホヤされ、野球一筋で頑張ってきた選手が多いと思います。しかし、いつまでも同じように人気者として生きていけるわけではありません。いつか引退したとき、問われるのはその人間性なのでしょう。
 
巨人選手の野球賭博の問題などを見ると、巨人の内部ですら正力さんの言葉を古臭い慣習のように思っているように感じられます。もう一度、この言葉を野球界全体で噛み砕き、楽しい野球を見せてくれることを願います。
 
野村さんは、選手としても素晴らしく、指導者としても実績を残されています。しかし、私が惹かれるのはその人間性です。記事を通して、深い知識と深い考えが人間としての魅力を形付けているように感じました。

さよなら怠惰くん。

久しぶりの更新になります。
卒業してからの数週間、特にやることがなく、非常に怠惰な生活を送っています。
考えてみると今のうちにやっておいた方が良いことはたくさんあるのですが、どうしても心が動きません。
軸になる活動や仕事が無くなるとその他の物事に対する意欲も無くなってしまうことに気が付きました。
 
怠惰とは、キリスト教における七つの大罪のひとつとされています。
なるほどなと思いました。
怠惰は人間の気持ちをダメにする一番の要因だと私は思います。
 
何かの活動に一生懸命になっているときは、「あれもしたこれもしたい、しかし時間がない」とよく思っていました。
そのときは、隙間の時間を使って、絵を描かいたり、本を読んだり、映画を見たりしていました。
今から思うと何かが充実しているときには、その他のことも充実していくものなのだと思います。
私はやるべきことが無くなると、本当に何もしなくなってしまいました。
 
自分の気持を整えるためには、まず目の前のことに一生懸命になることだと思いました。
とにかく今は、頭と体を動かさないと心も動かないような気がします。
 
自分の全てを充実させるためには、何か一つを充実させていくことからだと思います。
理想を語る前にまず目の前のことに必至になれるようにしていきます。
 
今日からブログも更新していきます。
しばらくは、怠惰のはけ口にさせて頂くかもしれません。
もしよろしければ、これからもお付き合いください。

卒業・引っ越し・猫

大学の成績が発表され一年越しの卒業が確定しました。
留年したこの一年、やりたいことが定まっていなかった自分にとっては、じっくりと先の事を考えられた時間になりました。
理想だけで先のことを考えていた自分にとっては、良い薬になったのかもしれません。
 
しかし、親への申し訳なさだけは常に頭にありました。
色々な事を経験して、色々な事を学んで大人になったつもりでしたが、支えられていることを忘れていました。
これまで当たり前のように4年間大学に通わせてもらっていましたが、この5年目だけは当たり前ではありませんでした。
当たり前でなかったこの一年を過ごすことで、どれだけ親に支えられていたのかということを実感しました。
 
自分のせいで単位を取りこぼし、自分のせいで留年しました。
しかし、今の自分に責任を取る力なんて全く無いということを痛感しました。
色々な面で支えられた一年でした。
 
また卒業に伴い、就職のために関東へ引っ越しをしました。
2度目の一人暮らしなので、手続きなどもスムーズに終わり、生活環境も整ってきました。
新しい環境ですが、私は鈍感なので違和感無く生活してます。
 
しかし、猫がいないことにだけ少し違和感を感じます。
足先にダンボールが触れたとき、なぜか猫の感触に似ていて、はっと寂しさがこみ上げて来ました。

天声人語の読み方。

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実は毎日の楽しみでもある朝日新聞天声人語
最近では、朝日新聞デジタルに無料登録するだけで、過去90日分の天声人語が読むことが出来るので、重宝しています。
600文字程度のコラムなので読みやすく、基本に忠実で誰にでもわかりやすい文章です。
しかし、ただわかりやすいだけでなく、その解釈を読者に委ねている気配があることも面白いところです。
 
今日の天声人語です。
 いま紙面でお読みいただいているこの活字は縦3・3ミリ、横3・9ミリほど。読みやすい大きさと思われるだろうか、それとも小さすぎるとお感じだろうか▼読者の方々の要望を受け、本紙は何度か文字を大きくしてきた。書き手としては正直なところ、載せられる記事量が減ることにさびしさを覚えた。ところが自分も老眼になると、「なぜこんなに小さいのか」としみじみ思う▼「弱視のため新聞や本を読むと鼻先が黒くなる人もいる。ルーペを手に、顔をこすりつけるほど近づけて読むんです」。NPO大活字文化普及協会の事務局長を務める市橋正光(いちはしまさみつ)さん(43)は話す。読書に困難のある人々のために、一般の本よりも数倍大きい活字の本を刊行してきた▼4年前には、本の街として知られる東京・神保町に大活字専門の書店を開いた。村上春樹東野圭吾浅田次郎といった作家の作品を刊行してきた。高齢化が進んで目に悩む人が多くなり、引き合いが徐々に増えたという▼とはいえ、大活字本を取りまく環境は甘くない。1点ごとに出版社や著作者と契約交渉が欠かせない。文字が大きい分、ページが増えて割高になってしまう▼市橋さんの話を聞き、ふいにわが祖父のことを思い出した。晩年に視力が衰え、唯一の趣味だった読書がかなわないことを嘆きつつ亡くなった。老いも若きも目を酷使している現代社会である。いまから100年後、200年後の私たちは、どんなサイズの文字に囲まれて暮らしているのだろうか。
朝日新聞天声人語「だれにでもやさしい文字」)

 今日の天声人語を読んで、「察してくれ」と言わんばかりの潔さを感じました。

内容だけで言うと、主題は文字のバリアフリー化でしょうか。
書き手としての立場から記事の量が減ってしまうことへのジレンマやコスト高による大活字本の環境の厳しさに言及しながら、誰にでも読みやすい文字のサイズを思案することの必要性を主張しています。
 
しかし、この文章から私には新聞という活字媒体の未来を憂う記者の姿が映りました。
デジタル化しつつある活字媒体の波に新聞も押されています。
電子書籍などでは文字のサイズを自由に変更できます。
文章にはありませんが、誰にでも読みやすい文字というものが既に実現されつつあることに、筆者自身も気づいているのではないでしょうか。
あえてそのことに触れないことを見ると、新聞記者としての立場からは言いづらい「含み」のようなものを感じました。
 
「いまから100年後、200年後の私たちは、どんなサイズの文字に囲まれて暮らしているのだろうか。」
この言葉からは、プライドを持って長年働いてきた新聞記者の哀愁を感じます。
 
大学受験中、塾で「現代文の点数を上げたいなら、まず天声人語を毎日読め」と言われたことを覚えています。
天声人語は、短い文章ながら主張や論理などの構成を簡潔に理解しながら読める記事がたくさんあるコラムです。
文章を正しく読むことが重要な大学受験では、良いテキストになるでしょう。
しかし、少し脱線してでも筆者の背景や心情を想像して見ると、違った面白みを感じられることにも気づいて欲しいと少し思います。
私の読み方はあくまで想像でしかありませんが、本当の読解力とはそういうものなのではないでしょうか。
 

村上龍「半島を出よ」超リアリズムの傑作

 
半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫)

半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫)

 
半島を出よ〈下〉 (幻冬舎文庫)

半島を出よ〈下〉 (幻冬舎文庫)

 
北朝鮮のコマンド9人が開幕戦の福岡ドームを武力占拠し、2時間後、複葉輸送機で484人の特殊部隊が来襲、市中心部を制圧した。彼らは北朝鮮の「反乱軍」を名乗った。財政破綻し、国際的孤立を深める近未来の日本に起こった奇蹟。
さらなるテロの危険に日本政府は福岡を封鎖する。いまや九州は反乱軍の占領下となった。逮捕、拷問、粛清、裏切り、白昼の銃撃戦、被占領者の苦悩と危険な恋―。絶望と希望が交錯する中、若者たちの決死の抵抗が始まる。現実を凌駕する想像力と、緻密な描写で迫る聖戦のすべて。各紙誌で絶賛を浴びた、野間文芸賞毎日出版文化賞受賞作品。
(「BOOK」データベースより)
言わずとも知れた大作家・村上龍の長編「半島を出よ」という作品を再読しました。
コインロッカー・ベイビーズ」や「愛と幻想のファシズム」などにも言えることですが、村上龍さんの作品は、現実と創作の狭間にあるような世界観が印象的です。
特にこの「半島を出よ」は、まるで現実に起こった出来事と錯覚する程のリアリティを持った作品です。
上下巻合わせて1000ページを超える大作を読破するのに私は1週間以上かかりましたが、その間、現実の北朝鮮のニュースと作中での北朝鮮軍の事件がまるで区別出来ないような状態に陥ってしまっていました。
それほど、この作品は精巧に作り込まれ、また私はその世界の中にのめり込んでしまいました。
 
この作品の主眼は、おそらく日本の政治組織が内包している壊滅的な危機感の無さでしょうか。
そのための最も現実的な仮想敵国が北朝鮮であっただけで、北朝鮮独裁政権拉致問題への批判的な含みは一切ありません。
長く平和を享受してきた日本が弱肉強食の世界に染められたとき、いかに脆く壊れやすのかということを芯に訴えかける内容です。
危機的状況に瀕したとき、まっとうな考えや常識的な考え方では、事態をおさめることはできません。
現実的な行動を起こせるのは、社会から排斥された変人・奇人の類なのかもしれません。
本作で活躍する日本人は、社会から排斥された最下層の少年たちです。
まともな大人たちが狼狽する中、常に弱肉強食の世界を生きてきた少年たちは、どのような行動を起こし戦うのでしょうか。
 
世界情勢や日本の政治体制、北朝鮮の内部事情など膨大な取材を基に精巧で複雑な世界観を構築しながら、その全てを突き抜けるような明快なサバイバル論を提示しています。
1000ページを超える大作ですが、膨張し薄味になった作品ではありません。
一字一句が意味を持ち、常に色濃く世界を構築しています。
そのページ数以上に大きな質量を持った作品だと思いました。
全ての日本人に読んでもらいたい作品です。

 

 

猿の本能とテクノロジーについて。

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Facebookなどのソーシャルメディアは、瞬く間に私たちの世界に浸透していきました。ソーシャルメディアの登場によって、私たちは本当に手軽に意見を発信することが出来るようになりました。そして、その意見はソーシャルメディアが持つ拡散能力によって、様々なユーザーや媒体に広まり伝わっていくようになりました。
 
今では、私たちのような消費者の意見や口コミが、大手メディアに匹敵するほどの影響力を持つようになってきたと私は思います。
人間の知恵が生み出した最先端のテクノロジーが、私たちの世界を大きく変化させた一つの例です。
しかし、確かに科学の進歩は世界を変えましたが、その変化の根本には人間の本能が関わっています。
 
こんな研究が発表されたそうです。
ソーシャルメディアに自分の意見を投稿することで、脳は食事やセックスで得られる満足感と似たご褒美を得られるとのことです。
研究チームによると、自分の感情や考えを他者に伝えることによって、脳内では快楽物質ドーパミンに関連する領域が反応を起こすことが分かりました。
人間が喜んで自己開示する理由は、その行為が食事やセックスといった一次報酬と同じように内因的価値を持つ事象を象徴するものだからだと結論づけられたそうです。
 
私は、この記事を読んで、ソーシャルメディアというテクノロジーに人間が手のひらで踊らされているイメージを持ちました。
ソーシャルメディアがこれほど大きくなったのは、人間という動物の本能を利用したからです。
人間が道具に利用されているような状態に近いのかもしれません。
 
本当に目覚ましく科学が進化し、日々新たなテクノロジーが世界を変化させています。
しかし、それを扱うのはあくまで人間という動物なのだということを忘れてはいけません。
進化しているのは科学であって、人間ではないということです。
 
どれだけ技術が発展し、着飾った所で、人間は猿のまま変わることはできません。
根本に猿としての自覚がないと生み出したテクノロジーに飲まれてしまう日も遠くはないかもしれません。
 

自分のキャラに邪魔される。

普段の生活の中で出来上がっていく、自分のキャラと言うものはなかなか厄介なものです。
自分のキャラが定着していくと、キャラ通りの行動や発言しか出来なくなることがあると思うことがあります。

普段の私は、何に対しても無頓着で、生活がだらしなく、デリカシーが無いように思われていることが多い気がします。
そう思われていることを自覚すると行動や発言もそのイメージに合わせるようになりました。
馬鹿な自分を演じることで、弱い本心を隠すことができるような気がするからです。

 

しかし、キャラ通りの行動や発言しか出来なくなるといろいろな弊害が現れてきました。
普段下ネタやギャンブルの話しかしていない馬鹿な自分では、意識の高いことを言うのが恥ずかしかったり、誰かに本気で訴えかけても真に受けてもらえないことがあります。
本当は、色々な事を考えて、色々なことを行動に移したいのに自分のキャラに邪魔をされ、身動きが出来ない自分を煩わしく思います。
自分の人間としての幅がすごく狭くなってしまうのではという恐怖さえ感じます。

私は、キャラを使い分けることにしました。
絵や文章の世界に逃げることによって、普段の自分では言えないことや表現できない事を伝えることができるようになってきたような気がします。
この世界の中では、自分は自分でも違った側面の自分を見せることが出来るような気がしています。

どの自分も自分でいつも本心ですが、私は一面的ではありません。